原文
黄河遠上白雲間
一片孤城万仞山
羌笛何須怨楊柳
春光不度玉門関
敦煌のお土産品。少数民族の凝った刺繍です

読み下し
黄河遠く上る白雲の間
一片の孤城万仞の山
羌笛何ぞ須いん楊柳を怨むを
春光度らず玉門関
読み
コウガ トオく ノボる ハクウンの カン
イッペンの コジョウ バンジンの ヤマ
キョウテキ ナンぞ モチいん ヨウリュウを ウラむを
シュンコウ ワタらず ギョクモンカン
意味
黄河をずっとさかのぼって、はるか上流の白雲たなびくあたり
ぼつんと1つ、とりでが高い山の上に立っている
折から吹く羌族の笛の音は、「折楊柳」の曲を哀切に奏でているが、そんな笛は吹く必要はないぞ
それを聞いても悲しくなんかない。なぜなら、ここ玉門関までは春の光がやってこないのだから
作者
王之渙(688~742)盛唐の人。名の渙を奐とする本もある。絳郡(山西省新絳県)の人。一説に薊門(河北省薊県)の人。字は李陵。侠気に富み、若いころは都の若者たちと、剣を振り回したり、歌をうたったり、酒を飲んだりしていたが、その後行いを改めて詩文の道に励み、十年にして名声をあげた。役人としては出世せず、長い間在野の詩人として活躍した。最後は文安県(河北省)の尉になり、官舎で死んだ。王昌齢・高適と深い交わりを結び、詩風も似て、ことに辺塞詩にすぐれた。惜しいことに、その詩は散逸し、今はわずか六種が伝わるのみである。
(『吟剣詩舞道漢詩集絶句編』)
詩の主人公は、馬で長安を出発する。めざすは地の果て玉門関、二千㌔、1ヶ月の行程だ。天水・蘭州と北西へ進み、黄河を渡り、中間地点涼州(現在名は武威)に到る。ここからが河西回廊となり、岩だらけのゴビ砂漠を通過、水不足と砂嵐に悩まされる。途中のオアシス都市で命をつなぎながら、万里の長城西端の嘉峪関を通過して、敦煌に到る。中国側最後の主要都市である。ここから玉門関までは、観光バスなら1時間半だが、馬だと辛い。万仞の山の砦を目にしながら、やっと到着する玉門関は、春らしい湿り気や緑もなく、絶望的な距離感に隔てられている。
全くの余談、Rosenの妄想ですが、韓ドラ『善德女王』星を頼りに沙漠を進むトンマンの姿が浮かぶ。もう一度見よう・・。(Rosen.H)
